プレスリリース

人道の港 敦賀ムゼウム 企画展                『シベリアからの生還 リトアニア人たちの流浪物語』開催

リリース発行企業:人道の港 敦賀ムゼウム

情報提供:






 企画展 開催期間
【令和7年3月15日(土)から 令和7年6月15日(日)】
・共催 リトアニア国立博物館
・協力 帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)、駐日リトアニア共和国大使館
 
 20世紀半ば、リトアニアとその国民は試練と喪失の時代を経験しました。リトアニアは1940年にソ連に武力併合され、翌1941年から1944年までナチス・ドイツによる占領に苦しみます。その後再びソ連に支配され、およそ50年にわたる弾圧を受けました。反ソ的とみなされた約28万人のリトアニア人が、北極圏やカザフスタン、シベリアなどの流刑地へと送られ、過酷な労働を強いられました。彼らは長期間にわたり抑留され、後に故郷へ生還できた一部の人々もソ連秘密警察の監視下に置かれます。自らの経験を家族間で話すことすらできず、抑圧されたまま生活しなければなりませんでした。
 本展では、リトアニア国立博物館の協力のもと、ソ連政府が占領下のリトアニアの住民に対して行った政治弾圧と強制移送された人々を待ち受けていた過酷な環境や労働、人としての尊厳や民族的アイデンティティを失うことなく生きようとする彼らの不断の努力、そして祖国への帰還の望みを紹介します。彼らの生きた証は、たとえ過酷な状況下であっても、ひとりひとりの名前が記憶され、その命が尊ばれるべき存在であることを、現在を生きる私たちに訴えかけています。当館とも関係の深いリトアニアの歴史について多くの方々に知っていただき、戦争を繰り返してはならないこと、平和の大切さについて考えてもらうきっかけとします。

 1940年代、東ヨーロッパにいたユダヤ人たちは、ナチス・ドイツやソ連による迫害を逃れるため、当時中立国であったリトアニアに逃れ、カウナスの日本領事館で杉原千畝領事代理が発給した”命のビザ”を得て、シベリア鉄道に乗って大陸を横断し、さらに船で日本海を渡って敦賀港に上陸しました。こうした歴史的なつながりから、人道の港 敦賀ムゼウムでは現在もリトアニア国立博物館をはじめとした関係機関と交流を続けています。
 本展では、難民への日本通過ビザ発給の舞台となったリトアニアにおいて、同時代の多くの人々にとっても「戦争」は苦しみの根源であったという事実に気付かされます。


第1章 暗闇への道

ヴォルクタ収容所のフェンスと監視塔
 ヴォルクタは北極海に近い都市で、鉱山と収容所の「首都」だった。多くのリトアニア人にとって、ヴォルクタは投獄の地となった。




キウシウレのレナ川岸にて 1947年
 トロフィモフスクへ追放された人々。出航許可を待つ間、彼らは川岸で1か月ほど暮らした。



 
第2章 堪えがたい日常生活

ロシア、コミ共和国 1959年
 ヴォルクタ第11鉱山の近くにあるユジノ集落。この集落の住民たち(その中には流刑にされた政治犯も多い)は凍った川から汲んだ水を運んでいる。









パリオニス夫妻と8人の子どもたち     
 パリオニス夫妻は農民で、1歳から20歳までの8人の子どもたちを連れ、強制移送された。息子を1人移送先で亡くし、一家は1957年にリトアニアに戻る。



第3章 過酷な労働

網を引く漁師たち
 漁をしている間は、小休憩を除いてはほとんどずっと、凍てつくような冷たい水の中に膝まで浸かっていなければならなかった。




第4章 小さな追放者たち

モイガ小学校の生徒たち ブリヤートにて 1949年
 この中で、地元の子どもは4人だけで、残りはリトアニア人だった。




ロシア、トムスク、テグルデト 1957年
 リトアニアに戻る女性と追放先で生まれた子どもたち





出典『リトアニアを知るための60章』櫻井映子(編著)明石書店 2020年
リトアニアについて
国名:リトアニア共和国
面積:65,000平方キロメートル
人口:約2,800,000人
首都:ヴィルニュス





国旗

国章

駐日リトアニア共和国 特命全権大使からのメッセージ


 『シベリアからの生還 リトアニア人たちの流浪物語』展は、リトアニアの20世紀の悲劇の苦しい1ページを紹介するだけでなく、日本人のシベリア抑留による悲劇との共通点を感じさせます。1940年代、遠いシベリアで起きたリトアニア人の追放者と日本人の捕虜の出会いが両国の友好の象徴の一つとなります。
 今回、本展示が「人道の港」と呼ばれる敦賀で開催されることを大変嬉しく存じます。杉原千畝氏の「命のビザ」により救われたユダヤ人が辿り着いた敦賀は、リトアニアにとっても重要な場所です。この展示を通じて、辛い過去を思い出すことで、世の中が少しでも平和に近づくことを心から祈念いたします。  
                               オーレリウス・ジーカス 駐日リトアニア共和国特命全権大使




敦賀とリトアニアの子どもたちが完成させた大きな橋の絵
リトアニアと敦賀の子どもたちが描いた大きな友情の架け橋の絵を展示【3月15日(土)~6月15日(日)】
 会期中、2023年にリトアニアと敦賀の子どもたちが、言葉の壁を越え左右半分ずつ描いて完成させた絵画『大きな友情の架け橋』(縦2.2m×横6.0m)を交流コーナーで展示します。リトアニア カウナスにある杉原記念館(「命のビザ」発給の舞台となった旧日本領事館)でも展示された、壮大な作品です。





     [日本でのワークショップの様子]                                    

[リトアニアでのワークショップの様子]              



会期中、TSURUGA BOOKS&COMMONS『ちえなみき』で関連書籍を紹介しております。




人道の港 敦賀ムゼウムについて
明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点となった敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港です。
当時の建物を復元した資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」では、シアターを備え、展示資料とアニメーション、映像を組み合わせて、敦賀港のあゆみとともに、孤児と難民が上陸した歴史的背景や、彼らに手を差しのべた人々、市民の証言やエピソードを含め、敦賀港で起こった史実をわかりやすく紹介し、「命の大切さ」と「平和の尊さ」を発信しています。

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【開催概要】
 名  称: 企画展「シベリアからの生還 リトアニア人たちの流浪物語」
 開催期間: 2025年3月15日(土)から2025年6月15日(日)

       9時から17時(入館は閉館30分まで)
       休館日 水曜日(祝日の場合は翌日)
 開催場所: 人道の港 敦賀ムゼウム 企画展示室
 ホームページ:
https://tsuruga-museum.jp/

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