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日本海側初の民放FM局「FM福井」が開局30周年

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富田靖子さんを起用した開局時のポスターと、同局アナウンサーの堀謙さん。ポスターは「貼ったそばから盗まれる」ほどの人気ぶりだったという

■「曲紹介の後は1秒空けて」と要望も

 1980年代初頭、福井県内に存在したラジオ局は4つ(NHK=AM2波・FM1波、福井放送〔FBC〕=AM1波)。開局1期生で取締役営業放送本部長の黒川元司さんは「新しいラジオ局ができるというイメージがなかなか湧かなかったのだと思う」と話し、スポンサー集めの場面でも「FM局とは何者か」を説明するのに腐心したと振り返る。

 「『新しいFM局です』『NHKか?』『いや、民放です』『民放っていうとFBCか』『AMでなくてFMですが』『やっぱりNHKか』と堂々巡りのやりとりも多かった」と黒川さん。有線放送と間違えられ、毎月の聴取料金を尋ねられたケースもあったという。

 同局に限らず当時のFM局は、FM波の高音質を生かした「more music, less talk(=音楽をより多く、トークをより少なく)」の番組作りが多かった。番組で流れる音楽を録音して楽しむ、「エアチェック」という行為がホビーとして成り立っていたほどだった。

 開局当時の同局にも「エアチェック族」からしばしば意見が寄せられたという。「曲紹介をイントロにかぶせて放送したら、おしかりの電話がかかってくるほどだった。確実に録音できるよう、『曲紹介の後は必ず1秒空けてほしい』との要望もあった」と黒川さんは懐かしむ。

 異色の番組もあった。その一つが、夏の高校野球県予選に合わせて放送された「夏、甲子園」だ。他局の高校野球関連番組が勝利校メーンで構成するのと対照的に、「敗退した高校球児の涙や悔しさ」をすくいあげた。1985年にワイド番組の5分コーナーとして始まった同番組は25年間続き、最終的には60分の生番組へと成長した。

開局日前日の新聞広告。「FM福井 モーニングステーション」「FM歌謡アベニュー」「サウンド・マーケット」など当時の番組名が並ぶ

■ラジオの「癒やし効果」が重視される時代へ

 特別番組を統括する放送部副部長の堀謙さんは、1993年入社のアナウンサー。福井の音楽イベント「ビートフェニックス」仕掛け人でもある。同イベントは2006年、SC「エルパ」(福井市大和田2)屋上を会場にスタート。これまで、アンジェラ・アキ、ゴスペラーズ、Def Tech、miwa、Every Little Thingなどをゲストに迎え、今年で9回目を数えた。

 当初は「SCの屋上で夏フェス」との趣旨が理解されずアーティストのブッキングに苦労したというが、近年は別の悩みがあるとも。「CDの売り上げが低迷しアーティスト自身が地方興行を増やしている。全国的に音楽フェスが増え、アーティストや音響スタッフの取り合いも起きている」と堀さん。山積する課題をクリアし、一つの節目となる10回目の開催につなげたいと意気込む。

 30年の間に、ラジオをとりまく環境は大きく変わった。2004年にラジオ広告費とインターネット広告費の逆転が起きて以来、ラジオへの風当たりは厳しさを増す一方だ。堀さんは「10代~20代の女性にラジオを聴いてもらうのが難しい時代になったと感じる。女性の心に響くコンテンツを提示できていないのは、ラジオ各局が共通で抱える課題ではないか」と話す。

 他方で、放送部長の石川尚裕さんは技術的側面から見たラジオの可能性を示す。「テレビの地デジ化で跡地になった電波帯域を活用する、『V-Lowマルチメディア放送』の準備が全国で進んでいる。用途として、安心安全情報や5.1チャンネルサラウンド放送、デジタルサイネージの提供などが考えられる」。同局も同放送の導入に向け準備を進めているところという。

 堀さんは「SNSなどで『コミュニケーション疲れ』を起こしている人々が少なくない時代。そうした人々を癒やす役割がラジオにはあると思う。ラジオは基本的に、ゴシップなど刺激的な情報から距離を置いた『嫌なことを言わないメディア』。ラジオの持つ優しい距離感がさらに重視される時代になる」と力を込める。

FM福井

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