吉江さんは福井県坂井市出身。身長173センチ。小さいころから身長が高く、「ノッポ」と言われることもしばしばという少女時代を過ごしたという。スポーツ好きで小学校時代はバレーボールに熱中したが、「身長の伸びが少しでも収まれば」と中学校で卓球に転向したほどだったと明かす。
「身長の高さにコンプレックスを感じていた」という吉江さんに転機が訪れたのは高校2年生の時。今は亡き祖母を元気づけようと、福井の情報誌「月刊ウララ」が主催する「うらら姫コンテスト」に応募し準グランプリを獲得。入賞で舞い込んだ初仕事は、ウエディングドレスの広告モデルだった。
「入賞者のファッションショーにも出演でき、カメラや衣装など見るもの全てが新鮮だった。すごくハッピーな気持ちになって、モデルの仕事に就きたいと本気で考えるようになった」。今もブライダル関連のモデルをすると、自身の原点といえる福井での初仕事を思い出すという。
現在は名古屋市内のモデル事務所に所属するが、高校卒業後すぐ県外で活動を始めたわけではなかった。学業とモデル業への「就職」との間で葛藤した結果、「高校で学ばない分野で、同期生全員で一から学べる点に魅力を感じた」と地元での進学を決意。同大の看護福祉学部社会福祉学科へと進んだ。
当時はポップなファッションを好んでいたといい、「(歌手の)きゃりーぱみゅぱみゅさんの影響を受けて、『うさ耳カチューシャ』を着けて大学に通ったことも」。一方で少しでも夢に近づこうと、「好奇心旺盛でコツコツと物事を積み上げる」持ち前の性格で、学業の傍らウオーキングなどのレッスンに通いスキルアップに励んだ。
2度目の転機は20歳の時。3回目の挑戦で「ミス・ユニバース・ジャパン」福井代表の座を射止めたことが、本格的なモデル活動への足掛かりとなった。モデル事務所から誘いを受け、大学を休学し名古屋市への移住を決めた。「母とは対照的に、父からは『卒業まで待てないのか』と諭された。最後はちょっと強引だったかも」と振り返る。
事務所に届いたオーディション開催の知らせを受け、東京に向かったのは6月上旬。10着以上の衣装を着け、約1時間にわたる審査を受けたという。「電話で合格の知らせを聞いてもすぐには信じられず、鏡の前で漫画のように頬をつねって『夢じゃない』と実感したら、うれしい気持ちがこみ上げてきた。県外行きを渋った父への、早めの父の日プレゼントになったかな」とほほ笑む。
ショーで着るのは、「これまで全く縁がなかった」というクラシカルなオートクチュール。「ミス・ユニバースの出場をきっかけに、ロングドレスやヒールの高い靴など、服が女性の立ち居振る舞いを変えることを実感した。パリコレを経験することで、また一歩大人の階段を上れそう」と目を輝かせる。
レースクイーンの仕事で各地のサーキットを巡ることも多いという。「英語力の乏しさが悔しくて英会話スクールに通ううち、学びたいという意欲が湧いてきた」と、この春から大学に復学した。女優の天海祐希さんに憧れた少女時代を重ね合わせ、「福祉とモデルとの共通項は誰かを幸せにすること。自分の仕事がハッピーな人を増やすことにつながれば」と話す。
同大福井キャンパスで。大学で学ぶ心理学を仕事で生かせる場面も多いという
大舞台デビューを間近に控えても、「すでに頂いている目の前の仕事に着実に取り組み本番に臨みたい」と、コツコツと物事を積み上げるストイックさを崩さない。「パリコレに出るからといって、他の仕事や学業をおろそかにしたくはないから」
県外での仕事が多くなり、福井での仕事から遠ざかっていると残念がる。「今の仕事の原点は福井にある。私がここまで来ることができたのも、さまざまな場面で応援してくれた人々の存在があったからこそ」。美を追求する楽しさを福井の人たちに伝えて恩返しできたらと、郷土愛をにじませる。
同ショーは7日、パリ・ルーブル宮殿マルサンパビリオンで開催予定。
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