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アマチュア芸人集う福井の「お笑いLIVE」が15周年

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山岸直弘さん(左)はボケを、渡辺和法さん(右)はツッコミを担当

■イベントの「前説」で芸人へのスイッチ入る

 出会いのきっかけは1996年、旧今立町(現越前市)で開かれたコンテスト「お笑いどんとこい!」だった。地域の祭りの一環として同町が企画した同イベント。2人はボランティアスタッフで参加した。

 「吉本興業と提携したイベントだったので、吉本の芸人が見られればと軽い動機で応募した。芸人のエピソードによくある『子どものころからのお笑い好き』というわけでもなく、自分から進んで駐車場係に立候補した」(渡辺さん)。

 ある出来事が2人を「お笑い体質」へと変えた。「開演前になべちゃん(=渡辺さん)と一緒に壇上に呼び出され『前説』をやることになった。訳も分からず2人でやりとりしていたら、客席から『お兄ちゃん、漫才でもやってるんか?』と声を掛けられた」(山岸さん)。

 これを弾みに1997年7月、お笑いコンビ「なべちゃんやまちゃん」を結成。「お笑いどんとこい!」入賞(1997年)、同準優勝(1998年)とスムーズな滑り出しを見せた。1999年には、富山県高岡市で開かれた「第6回ギャグバトルマッチ!!」で優勝する。

 同イベントの審査委員長は澤田隆治さん。「てなもんや三度笠」「新婚さんいらっしゃい!」「花王名人劇場」などを手掛けた名プロデューサーだ。「『笑いの帝王』と呼ばれる澤田さんが僕たちのネタにダメ出しをしてくる。アマチュア相手でも容赦なく指導することに感激した」(山岸さん)。

 コンテストでの入賞が続き地元メディアでの露出が増えた。一方で、福井県内のお笑いライブが少ないことに不満が募った。そこで、コンテストなどを通じて知り合った仲間たちとライブを開くことにした。活動の核となる「オフィス 笑・SHOW」の誕生だった。

■「素人だがプロに負けない気持ち」で舞台へ

 山岸さんの友人を通じ、カラオケボックスの一角をライブ会場にできた。自ら出演するだけでなく、アマチュア芸人の出演交渉やイベント告知にも精を出した。設立当初の年間ライブ本数は4~5本。「ライブが終わればすぐ次のネタを探す状態。今なら考えられないペース」(山岸さん)。

 2002年4月、第10回記念のライブを鯖江文化の館(鯖江市)で開き過去最高の200人を動員した。「ライブ後に若い男の人と握手していたら、周りに女の子がたくさん集まってきた。内心喜んでいたら、実は相手がザ・ルーズドッグスのメンバー。女の子たちの目当ては彼だったというオチだった」(渡辺さん)。

 雑誌連載、ラジオやテレビのレギュラー番組、「営業」と呼ばれるイベント出演など、活躍の場は広がる一方だった。プロと同じ土俵で戦う「M-1グランプリ」にもチャレンジし、多忙を極めた時期には一日おきに会うこともあった。「深夜にショッピングセンターの駐車場でネタ合わせしたことも。横では若い子たちがダンスやギターの練習をしていた。混沌(こんとん)とした空間を体験した」(山岸さん)。

 解散の危機を迎えたこともあった。出演者や会場との交渉、広報など山岸さんの負担増大が理由だった。「やまちゃん(=山岸さん)から『もうやめた!』と一言。妻に『任せっぱなしにしたあなたが悪い』と諭されて、やまちゃん宅にすっ飛んでいった」(渡辺さん)。お互いに無理なくできるようライブ開催のペースを緩めた。

仕事を終えたメンバーが次々と集合。ライブの打ち合わせが夜遅くまで続く

 「来る者拒まず、去る者追わず」を掲げる同団体には現在、およそ10組が所属。20歳近く年齢の離れた若者たちが「お笑いをやりたい」「自分の地元を元気にしたい」と2人の元に集う。年1回のライブはもとより、祭りや敬老会などのイベントに出向く「営業」がメンバーを活気づける。

 曲折を経た15年を振り返り、「今が一番充実している時期」と話す2人。「素人だがプロに負けない気持ちで臨んでいる。『イベントをにぎやかにするMCが欲しい』など、声が掛かれば一つでも多くの場に出向いていきたい」と口をそろえる。

 19時30分開演。入場無料。定員50人。

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オフィス 笑 SHOW

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